essay

どれみちゃんになれなかった私へ

 

 

 

私はドンピシャのどれみちゃん世代だった

セーラームーンでも明日のナージャでもなく間違えなくどれみちゃん世代


幼稚園では当たり前のようにどれみちゃんごっこが行われていた

でもどれみちゃん役はいつも決まっていた


誰だって主役のどれみちゃんになりたかったはずである

 


でも、5人くらいでしか出来ないから誘われるだけマシだ


誘われなくなったら1人で寂しく絵を描くことになる

 


私はいつもブルーのあいこちゃん役だった


私だって本当はどれみちゃん役がやりたい

 


でもどれみちゃん役の子は「さくらちゃんはあいこちゃん役ね」と言う

いいよなぁ


私は何も言えないからいつも脇役のあいこちゃん役をしていた

 


しかも何が気に食わなかったというと


私自身あいこちゃん役をやりたくてやってると思い込んでいた点だ

 


お母さんがどれみちゃんのドレスを買ってくれると言ってくれた


けど私はあいこちゃん役のブルーのドレスを買ったのだ

 


その後の人生、私は常に脇役だった

小学校の時も先生のお気に入りは友達で私は見向きもされなかったし


中学校の吹奏楽部では、同じサックスパートでも常に二番手だった


(先生はいつももう1人の同級生にソロパートを与えていた)


得意だったピアノでも、3年生の時に最優秀伴奏者賞は取れなかった

 


高校ではもうそんなくだらない順位は無くなった気がした


でも好きになった男の子は、友達のことが好きだったし


部活でも存在感は薄かった

 


今思い返せば隣でキラキラ輝く友人を見ていただけの人生だった

 


全ては幼稚園でどれみちゃんになれなかったせいだと思う

 


あの時、気が強くて「私もどれみちゃんがやりたい」と言えれば今までの人生どれみちゃんで生きてこられたかもしれない

あの時、仲間はずれになって1人で絵を描いていたら今頃画家を目指していたかもしれない

 


仲間はずれになったらどうしようとか


いじめられないようにみんなに合わせなきゃって思っていた

 


そう言えば小学校二年生の時、お母さんは担任の先生から


「さくらちゃんはもしかしたら不登校になるかもしれません」って言われたらしい


人に合わせすぎるからストレスが溜まると先生は言っていた

(けど、そんな心配はよそに私は毎日元気に学校に通っていた)

 


本当に小さい頃からそうやって他人に気を使って、皆に合わせて生きてきた

 

物語の主人公はいつだって一人だ

私も主人公になりたいといつも思っていた

 

でも

だれでも主人公になれるのかもしれない

 


やりたいのならやればいいし


なりたいのならなればいい


欲しいものは全力で手を伸ばして


掴みとればいい


他人の意見とか


皆の歩調に合わせなくてもいい

 

誰かの人生の脇役じゃなくて

自分の人生の主役として生きていきたい

 

今からでも遅くない

 

 

ABOUT ME
sappy
小さい頃から海外ドラマにハマり、就職せずにブログとイラストを書いています。雑誌ファッジさんで『さくらのシネマスタンダード』を連載中。イラストはインスタグラムにあげています。